ジストニアなどの難治性不随意運動疾患の治療に、ボツリヌス療法を行っておりますのでご紹介い
たします。
 
1)ボツリヌスとは
ヨーロッパでは、古くからソーセージ摂取後に生ずる特異な食中毒症が知られていました。
1870年、Emile van Ermengemはソーセージ(ラテン語でbotulus)由来の食中毒症として、これをbotulismusと命名しました。
その後ベルギーの豚肉ハムによる食中毒例から、芽胞を形成すう嫌気性桿菌が分離され、これがかつて知られたソーセージ中毒の原因菌であることが確認されBacillusbotulinusと命名されました。
この菌名は現在使用されていませんが、この語から「ボツリヌス」の語が生まれました。
ちなみにボツリヌス中毒の英訳はbotulism,原因菌はC.botulinumです。
ボツリヌス毒素は史上最強の生体毒です。
1gで東京都民全ての致死量といわれ、イラクのサダム・ フセイン大統領が、クルド人迫害のため実際に用いた生物学的兵器であります。
少し前に世間を騒がせた某宗教団体事件でもこれを用いる試みがなされたとの報道がありました。
「毒をもって毒を制す」とか「毒と薬は紙一重」という言葉がございますが、まさにボツリヌス毒素はこの代表といえましょう。
しかし、「紙一重」ではありません。
ヒトでの致死量は確立されていませんが、筋肉注射の場合約3500〜50万単位と考えられ、治療として用いる1回量の上限は300単位ですから、最も慎重に見ても10倍以上の安全マージンがあります。
他の薬剤、たとえばジギタリス剤と比較してもこれは決して低くはありません。
名前は「毒素」ですが、実際は他の薬剤と比べても毒性は強いとはいえません。
ボツリヌス療法は、精製したこの毒素の極少量を症状を呈した筋に注射し、作用を発現させる治療法です。
 
2)ボツリヌス毒素の作用機序
ボツリヌス毒素の作用は神経筋接合部(運動神経終板)の前シナプス終末からのアセチルコリン放出に関わる蛋白を阻害することにありますが、これによる筋の脱力以外の作用も解明されてきました。
筋紡錘などからの筋知覚入力に変化を与え異常な筋収縮を二次的に抑える作用もあるようです。痛みに対しても作用することもわかり、海外では各種難治性疼痛性疾患に使用されています。
 

3)ボツリヌス療法の適応疾患
本邦での保険適応病名は、「眼瞼痙攣」「片側顔面痙攣」「痙性斜頚」の3つです。我が国では、この3つの病態と考えられる疾患以外には使用できません。
しかし、海外ではボツリヌス療法の最初の臨床応用である「斜視」をはじめ「ジストニア」「パーキンソン病」「チック」「口蓋ミオクロ一ヌス」「歯ぎしり」「吃音」「アカラジア」「痙性膀胱」「三叉神経痛」「片頭痛」「腰痛症」など基本的に局所性筋緊張亢進を来たす疾患全てと各種疼痛性疾患、また美容整形でも広く使用されています。
斜頚、書痙、眼瞼痙攣などのジストニアと考えられる疾患は一見共通する点があまりないように思われます。
ジストニアはFahnらの定義では「持続的な筋緊張により、しばしば捻転性または反復性の運動や異常な姿勢を来たす病態」とされています。ジストニアの特徴の一つとして運動により増悪することが挙げられます。
書痙など上肢のジストニアでは特定の動作(書く、キーボードを操作する)のみ傷害され、他の日常生活動作は傷害されないことが多いのです。
この動作特異性は、現在では局所性ジストニアの重要な特徴と考えられていますが、以前はこの病態が心因性であると
する見方の根拠となっていました。
心因性とされてきた疾患が次第に器質性と認知されてきた例は数多くみられます。
一般に多くの臨床家は心因性と考えられた場合、専門外と切り捨て、治療を放棄することがあることは我々自身を含め反省すべき点と思います。
確かにジストニアの発症・増悪には心因性要素が大きいのですが、このことをもってジストニアが全くの心因性疾患であるとはいえません。
心と魂、さらに身体の接点を垣間見ることができる非常に興味深い病態といえます。
最近ではジストニアの症状と脳内GABA濃度の低下との関連、GABA受容体と関係の深いベンゾジアゼピン受容体の分布変化など新知見が得られています。
ジストニアの話なので、ボツリヌス療法とは関係ありませんが最近散見される薬剤性ジストニアの存在を記載しておきます。
トリプタノールなどの三環系、ルジオミールなどの四環系抗うつ剤によるジストニアの存在が知られておりますが、最近多くみられる薬剤性ジストニアの原因のひとつは、デパスなどベンゾジアゼピン系抗不安薬です。
これら薬剤性ジストニア治療は言うまでも無く原因薬剤の中止です。また薬剤性ジストニアには、シックハウス症候群の原因となるような化学物質も関係があるとされています。

 
4)当院での経験
2001年5月に開院して以来、これまで113例にボツリヌス療法を施行いたしました。
内訳は「眼瞼痙攣」が28例、「片側顔面痙攣」が73例、「痙性斜頚」が12例'です。著明改善がそれぞれ57%,79%,58%,改善およびやや改善がそれぞれ43%,21%,42%で不変、悪化はありませんでした。
幸い、特に副作用もなく安全性の高いことを実感しています。
効果の持続は一般に3〜4ヶ月とされていますが、当院での効果持続の平均は10ヶ月で、1年以上効果が持続する例も少なくありません。
自然治癒かもしれませんが、5年以上の経過観察で全く症状発現のない症例もあります。
施注にあたって心掛けていることは、確実な効果となるべく苦痛なく実施する点です。
確実な効果を得るためには、毒素の調整(溶液の濃度。震盪:毒素を生食に溶解する際、震盪すると気泡を生じ、surface denaturationにより毒素の不活化を来たすため、溶解の際バイアルを強く振らない。
溶解後、可及的すみやかに使用するなど)、施注法として眼瞼には瞼板前部へ注射すること。
これは眼瞼の最辺縁部にRiolan筋(Riolanはフランスの解剖学者)と呼ばれるボツリヌス毒素に抵抗性の小筋束があり、ここに十分毒素を浸潤させることが肝要です。
「痙性斜頚」では頚部の筋解剖に習熟することが必要で、過去の頚椎手術の経験が極めて役立っております。
苦痛なく施注するために、可能なかぎり施注部にペンレスを用いる、針は30ゲージを用いるなど細かな配慮を行っております。
ボツリヌス療法は、不随意運動治療に正にインパクトというべき画期的な治療効果をもたらしたと思います。
しかし、1996年に「眼瞼痙攣」が、2000年に「片側顔面痙攣」が、そして2001年に「痙性斜頚」が承認されておりますが、まだまだ一般に認知されているとはいえません。
「眼瞼痙攣」は目がしょぼしょぼすることから「ドライアイ」と説明されているケースが多く(実際「眼瞼痙攣」症例の涙の分泌量は少なかったとの報告もあります)、「片側顔面痙攣」と「痙性斜頚」は「つかれ」「異常なし」とされていることが多い現実があります。
他人からはなかなか理解が得られず、苦しんでいる多くの方々に、薬剤師会の先生方のご指導をお願い申し上げます。
 

文献
1)鈴木千尋、海津啓之:脳神経外科疾患と気づくためのポイント眼瞼痙攣、片側顔面痙攣の新 しい治療。
  川越市医師会報 第ll2号、p5-7,2000
2)鈴木千尋:脳神経外科疾患と気づくためのポイント痙性斜頚の新しい治療。
  川越市医師会報第ll6号p5-7,2001


 

 

 

 

 

鈴木千尋(すずきちひろ)
医療法人 千清會 鈴木脳神経外科院長

昭和29年8月17日生

昭和56年3月 埼玉医科大学医学部卒業
   同年6月 第71回医師国家試験合格・医籍登録(261617号)
          埼玉医科大学大学院医学研究科博士課程入学、
          同時に埼玉医科大学脳神経外科入局
昭和60年5月 埼玉医科大学大学院医学研究科博士課程修了(医学博士)
   同年6月 埼玉医科大学脳神経外科助手
昭和62年7月 日本脳神経外科学会専門医試験合格(2211号)
昭和63年9月 武蔵野総合病院脳神経外科部長
平成8年10月 武蔵野総合病院副院長
平成10年7月 武蔵野総合病院院長代理
平成13年4月 鈴木脳神経外科開設

役職・資格等:日本脳神経外科学会評議員
       病理解剖認定医(5077号)
       川越市医師会理事
       埼玉医科大学非常勤講師
       埼玉医科大学総合医療センター非常勤講師
       川越市社会福祉審議会委員
       川越市介護給付費等支給審査会委員
       川越市外科医会副会長
       川越脳神経疾患研究会幹事
       西埼玉脳神経集団会世話人

鈴木脳神経外科
〒350-ll75埼玉県川越市笠幡2082番地
TEL:0492-33-7701
HP    http://homepage2.nifty.com/suzuki-b-geka/

 
 
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