私の散歩道 寺院の立礼を訪ねてB
 

 東照宮の入口には「仙波東照宮」と大きく書かれた門柱がある。そこから入っていくと、真中の道は石畳だが、左右は花壇になっていて、牡丹や勺薬が咲いている。八脚門や石鳥居をくぐると、東照宮石段に着く。

◎『東照宮随身門・石鳥居』重要文化財・建造物
 『境内入口にある随身門は朱塗八脚門・切妻造で、とち葺形銅板葺である。八脚門とは三間×二間の門で、門柱四本の前後に各一本ずつの控柱を持っている屋根つき門のことである。以前には後水尾天皇の御染筆となる「東照大権現」の額が掲げられていた。記録によるとこの勅額は寛永十年(1633)十二月二十四日とあるから東照宮の創始の時期を知るひとつの資料となっている。
 石鳥居は寛永十五年(1638)九月に造営奉行の堀田正盛が奉納したもので、柱に「東照大権現御宝前、寛永十五年九月十七日堀田加賀守従四位下藤原正盛」の銘文が刻まれており、様式は明神鳥居である。  川越市教育委員会』


◎その昔は赤い八脚門の中に右大臣、左大臣の像があったが、今では東照宮の拝殿に置かれている。肩や膝にものすごい埃が着いているが、もしも埃を払って衣装に傷が着くと修復不可能なことなので払えないそうだ。狭い堀を渡ると明神石鳥居がある。寛永15年1月川越大火があり、東照宮も類焼し堀田正盛が再建したのだが、類焼された責任をとって、信濃松本に転封された。その後、寛永16年1月5日に松平伊豆守信網が武蔵忍城から移って来た。
 歴史は複雑で興味深いものである。

◎東照宮
『東照宮川越市小仙波町一丁目
 徳川家康を祀る東照宮は、家康の死後その遺骸を久能山から日光に移葬した元和三年(1617)三月、途中、喜多院に四日間とう留して供養したので、天海僧正が寛永十年(1633)一月この地に創建したものである。その後、寛永十五年正月の川越大火で延焼したが、堀田加賀守正盛を造営奉行として同年六月に起工し、同十七年に再建されている。東照宮は当初から孤立した杜格を持たず、喜多院の一隅に造営されたもので、日光、久能山の東照宮とともに三大東照宮の一つとかぞえられている。
 東照宮の規模は、表門(随身門)・鳥居・拝殿・弊殿・中門(平唐門)・瑞垣・本殿からなっており、拝殿には重要文化財に指定されている岩佐又兵衛勝以筆の三十六歌仙額が、弊殿には県指定文化財である岩槻城主安倍対馬守重次が奉納した十二面の鷹絵額がある。
 昭和五十八年八月埼玉県』
 以前東照宮檀家総代代表の森田栄一氏に奥殿まで案内していただいたことがある。拝殿には右大臣・ 左大臣の像があり、岩佐又兵衛勝以作の三十六歌仙の額(本物は県立博物館)、狩野探幽作の鷹絵12面がある。拝殿・弊殿の奥は塀で囲まれた本殿がある。本殿には天海僧正が創作したと言われ御神体である「駿馬に股がった家康公の像」がある。(川越市医師会報第109号)
 東照宮の石段右手に東照宮の社務所がある。そこの御主人に東照宮本殿の鍵を開けて頂き、森田栄一さんと一緒に拝観した。
 なお、東照宮の山の高さは5間(約9m)といわれている。石段は50段あり、戦後の旧制中学の頃は体育の時間によく走って昇り降りさせられた。石段がすり減っているのは、そのためかと思われる。この山を造るのことはさぞかし大変なことだったと思われるが、江戸時代徳川家康は神様のようだったので当然の事と思われる。東照宮の裾野即ち堀との境を一巡りすることが出来る。また左右に巡らされている塀や、亀島・鶴島に思いを馳せることが出来る。

◎東照宮拝殿・弊殿
『東照宮拝殿・弊殿重要文化財・建造物
 拝殿は桁行三間(5.36m)梁間二間(3.64m)で単層入母屋造、正面は向排一間(1.82m)あって銅板本葺である。弊殿は桁行二間、梁間一間で背面は入母屋造り、前面は拝殿に接続し、同じく銅板本葺である。内部も朱塗りで美しく、正面に後水尾天皇の御染筆なる東照大権現の勅額が懸けてある。記録によると寛永十年(1633)十二月二十四日とあつて・東照宮創建当時に下賜された貴重なものとされている。川越城主であった柳沢吉保や秋元但馬守喬朝の頃に大修復があったと伝えているが、松平大和守の弘化四年(1847)にも修復が行われたという。
 平成三年三月 埼玉県教育委員会 川越市教育委員会』
 拝殿の中は普段は見られない。お正月に開放され、御酒を頂いた事があるが、奥殿までは行くことは出来ない。
 この境内の南の通称ナンジャモンジャの木(薄墨桜)があって春先に白い花が咲く。なお、東照宮については、前回、奥殿にいたるまで案内して頂いたことがあり、川越市医師会報第109号に書かせて頂いた。

◎鶴島
 かつて東照宮を背にして右手には亀島、左手には鶴島があった。現在は亀島跡は整地されてゲートボール場として、近所の老人達で賑わっている。左手の鶴島は小さな吊橋と赤い鳥居のそばには厳島神社と書かれている。この傍を通るときに、耳をすますと常に水の流れる音がする。現在は鶴島を取り巻く池に水道水を流し込んでいるのだそうだ。かつては喜多院の西北に湧水の出る所があり、喜多院全部の堀が水で潤っていたのだそうだが、西小仙波の道に大きな下水管を埋め込んでからは、全ての堀の水が干上がってしまったのだそうだ。
 鶴島を見てから北に歩いて行くと、右手に鐘桜門があるこの東側は幅広い道が少しだけあり、中院から東照宮の前を通って南北につらなる道を渡ると、宮崎産婦人科医院・前田歯科医院と松岡章次さん宅の間に細い路地がある。この路地の奥に「仙芳眞人入定塚」がある。

 
山口建美

昭和27年3月     埼玉県立川越高等学校卒業
昭和34年3月     東京医科歯科大学医学部卒業
昭和34年4月〜35年 3月同大学医学部附属病院にてインターン
昭和35年4月     第28回医師国家試験合格
昭和35年4月     東京医科歯科大学医学部第一内科入局
昭和45年6月     川越にて山口内科医院開院
 
 
 
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