20世紀の科学は急速な進歩を遂げ、物質的、経済的に豊かな生活が実現されたにもかかわらず、競争原理の強化、社会規範の崩壊、環境破壊などの新たな問題が浮上し社会的・精神的ストレスの増大、人々のふれあいや生きがいの消失など人間らしい真の豊かさが欠如する時代がもたらされた。21世紀は前世紀の大きな反省の上に立ち、「生きがい」、「自然」、「心と身体の調和」などをキーワードとする真の心の豊かさが求められる時代であろう。

 医学に目を転じてみると、科学が進歩するにつれ、科学の領域が細分化され、もはや病気は「物」としての解明対象にすぎなくなった。分子レベルで病気が説明され、逆に科学的な検査で原因がわからない場合は患者さんの訴えは無視されてしまう。しかし、患者さんの訴えの中に多くの病が隠れている可能性が高く、William Oslerが述べた言葉“Listen to the patients, he tells a diagnosis”(注1)は、医療に携わる者にとって忘れてはならない戒めでもある。患者一人一人の訴えを重視した個の医療が21世紀に必要とされる医療の姿である。漢方医学が古来より重視してきた心身一如の医療、すなわち患者一人一人の体質にあった治療や、予防医学にも通じる未病の治療が見直されなければならない。

 ここで漢方医学の重要性、西洋医学にない特徴について考えてみたい。薬剤の多くは患者さんの苦痛を和らげるために大変有効であるが、疾患の原因を治療するのは難しい。製薬メーカーがしのぎを削って開発に取り組んでいるような、既存薬剤よりも一桁感度の高いantagonist(受容体拮抗薬)(注2)の開発や、さらに上流域で細胞内情報伝達を調節する薬剤の開発など、苦痛を和らげる薬剤は日進月歩しているにもかかわらず、抗生物質など一部の薬剤を除いて、本質的な原因の治療は生体の有する自然治癒力に頼らざるを得ないのが現実である。

 一方、漢方医学は2000年以上伝承されてきた草根木皮を用いた薬剤を用いる医学であるが、漢方薬の特徴は何と言っても天然物の複合体を薬剤としていることである。複合体にどのような意義があるのだろうか。現在、使われている西洋薬の過半数は植物成分をヒントにして、さらに構造を変換して効力を強めた薬剤といわれている。すなわち植物には活性成分が沢山含まれているということである。さらに植物成分の特徴は、植物が動物の生体成分と同様の生合成系を介し、アセチルCoAから生合成がスタートするわけであるが、植物の最終生合成産物の構造が動物のものとは若干異なることである。

 動物のコレステロールは、植物ではβシトステロールなど複数の構造類似体になり、生体内でコレステロールの代謝、脂質の代謝をantagonist的に調節している。コレステロール以外でも多くの植物成分は受容体に対して生体ホルモンや伝達物質のagonist(受容体作動薬)(注2)あるいはantagonistとして作用している。甘草の主成分グリチルリチンはantagonistとしてステロイド受容体に作用し、生体ホルモンであるコルチゾールの代謝を抑制し、間接的に糖質コルチコイド作用を増強し、また附子のアコニチンはモルヒネのκ受容体(注3)にagonistとして働き、鎮痛作用を発現している。グリチルリチンやアコニチンだけでなく植物中の多くの成分が、同様にagonistあるいはantagonistとして、ホルモンや伝達物質等の生体成分の受容体結合を調節しているのである。生体成分のagonist作用が亢進すればするほど、投与された植物成分のantagonist作用は強くなり、逆に生体成分のagonist作用が弱くなればなるほど植物成分はagonistを補充する形で働くことになる。

 すなわち漢方薬とは生体成分のバランスの崩れを調節しながら、我々が生まれつき持っているホルモン・免疫・神経からなる恒常性維持機構を正常化させている。これが漢方薬の作用機序であり、漢方薬による治療が単なる対症療法ではなく、より本質的な原因治療につながる理由と考えられる。漢方薬は患者一人一人の生体のバランスの崩れを多成分系で治療しているのであり、活性成分も患者毎に異なる。そして証の診断が、個々の患者の生体バランスの崩れを見つけ出す重要な手段となる。

 以上のような証の概念を動物実験で確かめた我々の研究結果の一部を紹介してみたい。Th1、Th2という免疫体質をご存じだろうか。Th1タイプが優位なマウスはIFN(インターフェロン)、TNF(ガン壊死因子)、IL-1(インターロイキン1)、IL-6(インターロイキン6)などのサイトカイン産生が盛んで、正常人型あるいは実証型と言われている。一方、Th2タイプが優位なマウスはアレルギーを惹起するIL-4(インターロイキン4)、IL-10(インターロイキン10)等のサイトカイン分泌が盛んで、アレルギー体質あるいは虚弱型といわれている。体質改善効果が臨床的に報告されている小柴胡湯は、通常の研究に汎用され、特に免疫学的特徴を有しないICRマウスでは、IFNα、IL-1、TNFαなどTh1タイプのサイトカインを上昇させることが我々の研究から判明している。

 そこで、Th1タイプのC57Blackマウス(注4)、Th2タイプのBalb/cマウス(注4)に小柴胡湯を経口投与してサイトカイン産生を見てみると、小柴胡湯は虚証・アレルギー体質を持つBalb/cマウスのサイトカイン産生、特にIL-6の産生を優位に上昇させた。一方、実証タイプのC57BlackマウスのIL-6産生は上昇せず、逆に減少傾向を示した。すなわち小柴胡湯はアレルギー体質、虚証体質を正常型・実証型にシフトさせる作用がある反面、正常型・実証型にはほとんど作用しないことが明らかとなった。Th1タイプ、Th2タイプをそれぞれ実証型、虚証型に分類するのは行き過ぎかもしれないが、小柴胡湯という漢方薬が体質の違いにより異なる効果を発現する可能性が動物実験からも実証されたことは、漢方治療において体質の違い、あるいは証の違いを診断することが重要であることを示唆している。

 以上、漢方医学の特徴である個の医療について私見を述べさせていただいたが、実は漢方医学に関しては臨床や研究に比べて教育が一番遅れている。平成14年4月、医学教育モデルコアカリキュラムに“和漢薬を概説できる”という文言が入り、遅ればせながら医学部における漢方教育が開始された。現在では、全医学部において漢方の教育が行われている。大学により濃淡はあるが、今後新しいカリキュラムの基で漢方医学を理解した医師が卒業してくることになる。

 一方、薬学教育においても平成14年7月に薬学教育コアモデルコアカリキュラムが制定され、“自然が生み出す薬物”の中に“(3)現代医療の中の生薬・漢方薬”が明文化された。漢方教育の到達目標として、漢方薬と西洋薬の基本的な利用法の違いを説明できる、漢方処方と「証」との関係を概説できる、代表的な漢方処方の適応症と配合生薬を説明できる、代表的な疾患に用いられる漢方処方の適応症と配合生薬、さらに漢方処方の応用、使用上の注意を概説できる、漢方薬の代表的な副作用や注意事項を説明できる、他合計9項目があげられ、薬学教育の中でも漢方教育が始まろうとしている

日本薬科大学 研究・実習棟
 このような状況下、平成14年4月埼玉県に開校した日本薬科大学では、医療薬学科、健康薬学科に加えて日本で初めて漢方薬学科を設立した。西洋医学だけではなく、漢方医学を薬学教育の中に組み込み、薬剤師教育における漢方医学教育の必要性を主張して文科省の設立申請を通過した。文科省からは何故今まで薬学教育の中に漢方教育が無かったのか不思議であるとの言葉もいただいている。生薬の栽培と流通、本草書の解読、日本漢方だけでなく中医学も含めた漢方の薬理、理論、臨床など幅広い必須科目を用意している。さらに、中国医薬大学との学生の交流と単位の互換、教員の教育・研究の充実を目指した交流、中医学専門家による講義など多彩な漢方カリキュラムを用意し、西洋医学との融合による統合医療を看板に掲げて薬学教育を開始した。今後、病院や薬局を中心とするチーム医療に加えて、ケア、在宅医療、予防など幅広い領域で、医療の中心的な役割を担うことのできる薬剤師を育成し、漢方薬が一人でも多くの患者さんの治療に活かされることを願っている。

注1:William Oslerの述べた言葉で問診の重要性を述べている。訳:患者さんの訴えをよく聞きなさい。患者さん自身が診断を述べているのだから。

注2:ホルモンなどの生体物質は、標的臓器の受容体に結合して作用を発現することから受容体作動薬(agonist)と呼ばれ、多くの薬剤は生体物質の受容体への結合を抑制することによって過剰な生体反応を抑制的に調節していることから受容体拮抗薬(antagonist)と呼ばれている。

注3:モルヒネ受容体の一つ。習慣性も同時に発現するμ受容体が有名であるが、κ受容体は鎮痛作用のみを発現し、ダイノルフィンが特異的agonist。

注4:研究用に飼育された免疫学的特性を有するマウス

雨谷 栄
日本薬科大学 漢方薬学科 教授

名古屋市立大学大学院卒業後、中国瀋陽薬学院講師、(株)ツムラ生薬資源研究所所長を歴任

著書:薬学教科書シリーズ(東京科学同人)、今日のサプリメント(南山堂)など
 
 
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